2009年02月23日

故伊藤清治略歴等


[氏名(故人)]

伊藤 清治(いとう せいじ)

[略歴]

大正11(1922)年7月10日

岩手県宮古市で生まれる

昭和14(1939)年     
岩手無尽(後に岩手興産無尽、現・北日本銀行)に入社、
宮古支店へ配属

昭和17(1942)年12月1日
旧日本海軍第二補充兵合格(予備役)

昭和18(1943)年6月1日
海軍横須賀海兵団へ入団

同年9月   
岩手興産無尽宮古支店を休職扱(30日付)、
海軍主計兵としてインドネシア・ボルネオ島バリクパパンへ出兵

同年12月1日
インドネシア・タラカン島(東カリマンタン)警備隊へ転属
(同島の地図は「新Website・ボルネオ研究」を参照)

昭和20年(1945)5月1日
連合国軍、タラカン島上陸
(ウィキペディア英語版:Battle of Tarakan / Borneo Campaign
(上記の訳文:タラカン戦 / ボルネオの戦い

同年6月13日
海軍同島守備隊が参謀本部へ公式最終連絡、
以後遊撃戦開始

同年8月3日
戦死(旧日本政府通達の公報による)

同年8月15日
終戦

平成10(1998)年11月18日
「岩手日報」掲載記事(画像上段参照)

同年11月19日
「岩手日報」掲載記事(画像下段参照)

同年12月9日
「岩手日報」掲載記事

平成12(2000)年9月4日
オーストラリア復員兵士連盟シドニー・エッピング支部を当サイト管理人(神戸)が訪問、
支部長C・ブラウン氏および副支部長N・ウェイトマン氏(両氏の役職は当時)と面会、
遺品現物の展示を確認


平成16(2004)年8月9日
オーストラリア復員兵士連盟シドニー・エッピング支部前支部長C・ブラウン氏より
遺品返還決定の連絡

同年9月17日
同支部より遺品返還

同年9月18日
「シドニー・モーニング・ヘラルド」紙掲載記事

同年9月21日
同月17日返還の遺品が日本へ帰還

平成17(2005)年1月1日
前年9月17日返還の遺品が宮古へ帰郷

同年1月5日
「岩手日報」掲載記事

同年1月
「日豪プレス」2005年春夏秋冬号(新春別刷)掲載記事

[家族構成]

父・伊藤宇八(注1)
> 長男・伊藤宇一郎(注2)
>> 次男・*伊藤左以次(注3)
>>> 長女・伊藤チサ(注4)
>>>> 三男・伊藤清治(注5)
>>>>> 四男・伊藤清平(注6)
>>>>>> 五男・伊藤清三郎(注7)

*伊藤左以次(注3)の次女=神戸美佐子(旧姓伊藤)
> 長男・神戸康彦
>> 長女・横間公代(旧姓神戸)

※注1/読み=いとう うはち(1944年没)
※注2/読み=いとう ういちろう(1912年没)
※注3/読み=いとう さいじ(1998年没)
※注4/読み=いとう ちさ(1917年没)
※注5/母=伊藤フク(1923年没)
※注6/読み=いとう せいへい(1987年没)
※注7/読み=いとう せいさぶろう(1933年没)

[参考サイト]


Read more...
posted by Yasuhiko Kambe at 23:14| Comment(0) | 略歴等 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。